2018年07月16日

##### 記念館えぞりす食堂おしながき ##### 森中 来美 ##

1.何はともあれクルミ、くるみ
その16:くるみ拾いのきっかけ〜B「持去り・廃棄」と「餌やり」の関連性

しばらく間が開いてしまいました。前回、前々回と園内のくるみが失われてしまう理由をお話しました。来園者の持去りと芝刈・清掃により、何も手を打たないでいると殆どのくるみが無くなってしまうこと。そしてその対策として個人的にくるみを拾い野草園に移動もしくは一時保管する活動をしていることもお伝えしました。

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(2014年には園内に持去防止の掲示があった。面白いことに、りすたちはしばしば熱心に掲示物に見入っていた。ヒトも同じくらい注意して見てくれると有難いのだが・・・)


しかし、私はいつもジレンマを感じてしまうのです。くるみを拾ってまた戻すという行為は、いつも問題視している餌やりと同じことではないかと。冬場に、りすたちの食べ物が無いと思ってヒマ種などを置いていく人と何も変わらないのではないかと。自問自答してもすっきりした答えを見出せません。かといって何もせずにりすたちの食料が不足するのが一番困るので、モヤモヤしつつもくるみ拾いを継続しているわけです。

「持去り・廃棄」と「餌やり」は一見全く別の事柄のように思えますが、上記のように考えると相関関係が成り立ちそうです。簡単に言えば、持去り・廃棄が餌やりを誘発する理由(言い訳?)になってしまうということです。これは大事なことですが、餌やりをやめようと呼びかけるのなら、まずもって持去り・廃棄の改善が必要なのです。これらはセットで対策を行われなければ意味を成しません。

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(2017年、アヤメ川公園に設置された野鳥・リス大看板の一部。アヤメ川ではくるみの廃棄は無いが、持去りと餌やり防止はセットで呼びかけている。記念館は現在、注意書きの類は掲示できない。)


ずいぶん前ですが、くるみを拾っていると、とある公務員の方に「そこまでしなくても、自然のままが一番良いのではないですか」と言われたことがあります。・・・確かに!ごもっともです。自然のままにしておけるなら、りすたちにとっても、この軟弱なくるみ番にとっても、一番良いし有難いのです。でも、自然のままって何ですか?人為的にくるみを廃棄している環境が「自然のまま」? いかにも耳あたりよいフレーズですが、結局は「成り行きに任せろ、余計なことはするな」というように解釈できます。これは少なからずショックでした。

こうなるともう乗りかかった船です。自分なりに次のようにモヤモヤに決着をつけることにしました。

人為的にくるみが片付けられる環境では、人為的なくるみの確保も致し方ない。それが本来の「自然」の姿に戻すための行動と考えることにする。

そして拾ったくるみを戻す時ですが、気をつけていることがあります。自分なりに不適切な「餌やり」との境界線を引く努力です。

  1. できるだけ自然落果に近い形で戻す。例えばくるみの木の近くに重点的に撒布するなど。
  2. ヒトの手によってくるみが置かれていることを、できるだけりすたちに悟られないようにする。りすの目の前でくるみを撒かない。
  3. ヒトの手によってくるみが置かれていることを、できるだけヒトにも悟られないようにする。記念館はヒトが餌を与えて良い場所だ、という誤解を生じさせない。
  4. たまたま作業を目にする来訪者に、趣旨を正しく理解してもらえるよう努める(くるみ拾いカゴに掲示など)。
  5. 原則として園外で実ったくるみを持ち込まない(別の場所で持去りをしていることになる。そこで困るリスがいる。植生にも影響する)。
これで十分とはいえないかもしれませんが、「自然に戻すための行為」として必要な配慮と考えます。

これで私のモヤモヤはなんとな〜く片付いたことにしますが、もうひとつ気がかりなことがあります。それは個人的な活動は長期継続できるものではないということです。私のくるみ拾いはあくまでも急場凌ぎで、根本的解決には、代が変わってもずっと続けていけるような【仕組み】づくりが必要です。その仕組みとは、先ほど書いたように持去り・廃棄から餌やりへという喜ばしくない連鎖を断ち切るものでなくてはなりません。これは個人の思いだけではハードルが高く、行政や市民の理解と協力をいただきたいところです。ちょっとの工夫と労力、考え方の転換で、りすたちがハッピーに暮らせ、それを眺める私たちもハッピーになれるなら、そんな良いことはないと思うのですけれど・・・。皆さんはどのようにお考えですか。

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(野草園に堆積した深い落ち葉の中からくるみを掘り当てご満悦。見ている方もヨッシャ!という気分になる。)
posted by 管理人 at 18:14| 森中 来美

2018年07月12日

ウスバシロチョウ (投稿6/2 磯田さん)

シロチョウという名前がついていますが、モンシロチョウやエゾシロチョウの仲間ではなく、アゲハチョウ科の蝶です。原始的なアゲハチョウの仲間です。幼虫の主な食草はムラサキケマンです。コンロンソウが咲く頃に羽化して吸蜜します。その名の通り、翅への鱗粉のつき具合が薄く、透けて見えます。

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日本全土に分布していますが、北海道では道央圏より南に分布しています。道央圏より北には類似種のヒメウスバシロチョウが生息しています。大滝や千歳あたりはウスバシロチョウの北限とヒメウスバシロチョウの南限が重なりいずれも生息しています。特に珍しい蝶ではありませんが、発生時期、発生地が限定されるため、わざわざ探しに行かないと目にすることはないでしょう。(撮影地:洞爺湖)

posted by 管理人 at 22:42| 日記

2018年07月09日

法律に従ったセイヨウオオマルハナバチの防除

セイヨウオオマルハナバチ。尻が白いのが特徴だ。また、黒・黄色・白の色合いも鮮やかだ。しかし、特定外来生物に指定され、駆除の対象となっている。

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日本在来のマルハナバチは、セイヨウオオマルハナバチと違って、地味な色合いだ。舌の長さが様々で、そのことによって、自分に合った花に飛んで行き、蜜を吸い、受粉しその花と共生し、多様性のある生態系の維持に役立っている。
日本在来のマルハナバチ


しかし、外来のセイヨウオオマルハナバチは、舌が短いため、開いた花から蜜を吸わず横から刺して蜜を吸う、いわゆる盗蜜をする。
そのことで、花は受粉できずに子孫を残せず、植生まで変えてしまう恐れがある。

そのため、特定外来生物に指定され、駆除の対象になっているのだ。森ネットの仲間の中には、そのことを知っていて、個人的に駆除を行っている方も多い。しかし、今回森ネットの活動を支援していただいている伊達市在住の山本さんから、新しい情報を頂いた。

『特定外来生物による生態系等に係わる被害防止に関する法律』に従って正式に、セイヨウオオマルハナバチの駆除を行うには、北海道に防除従事者申出書を出し、防除従事者証をの交付を受けなければならないのだそうだ。

山本さんは、その事を知って、申出書を胆振総合振興局に提出し、防除従事者許可証を平成30年7月31日に交付され、家の周りを中心に防除活動を行っている。ちなみに防除従事者になっているのは、伊達で山本さん一人だという。

申出書
防除従事者申出書
防除従事者証
セイヨウオオマルハナバチ防除従事者証

もちろん、個人的に家の周りで防除するのは、なんら問題ないと考える。従事者証を頂いたら、同時に防除の数の報告義務があるらしい。

posted by 管理人 at 11:08| 管理人 木村

2018年06月27日

ヒマラヤの青いケシ

伊達で長年にわたり、ヒマラヤの青いケシを育てている人がいます。このケシは暑さが苦手で、ヨシズをかけたり丹精して育て、今年も立派な花が咲きました。花は6月。会員滝谷さんからの写真をご覧ください。(きむら記)

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posted by 管理人 at 15:21| 日記

2018年06月26日

恋するこころ

誰かに恋するとか、そういう直截なことではない。
ただ、恋のようなときめきは、私の日常にあふれる。
本や映画や、1枚の絵、思い出と共にあって感情を
かきたてる懐かしい曲の数々。

道行く、名も知らぬすてきな人たち。
年を重ねた女性が しゃんと背筋を伸ばして初夏を行く。
「いいなあ、あのヘアスタイル」
「ストールの色、すてきだなあ」・・・
お洒落なシニア世代の男性を眺めるのも こころ弾む。

ふり返って 何度も見てしまう。
ちょっと ときめく。
ドキッとする。

映画のポスター、新聞の写真、優美なコマーシャル、
すてきな言葉は、私を別の世界に連れて行く。
先日、朝日歌壇でどきっとする短歌に出会った。

〜もう一度好きだと言ってくれないか裸足で海に駆け出すように〜
八幡浜市 木下まゆみ

こんな短歌が、胸の奥深くにぽっと火をともす。
時の洗礼をうけてなお魂の奥にある切ない「恋するこころ」が動く。
私のなかには、優等生の幼い私も、どん底の孤独のなかで
恋した10代も、生きることに戸惑った30代も、どんな私も、存在する。

だから色とりどりの経験や美しい感情に満たされた
今のこの自分の魂がさまざまに感応して、なおさら愛おしい。
だから、こころは恋する・・・
人生のときめきは、一生消えない。
これこそが生きる証。

選んだ「よい孤独」と、それと共に私を魅惑する「恋するこころ」は
私の大切なエッセンス(本質)なのかもしれない。
(フランスのことわざ「選んだ孤独はよい孤独」)

posted by 管理人 at 15:58| 会員 平鹿裕子
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